カナダには色々な歴史がありますが、今回は悲劇的な歴史をいくつか取り上げてみました。
この記事を読んでいただくと、カナダにいろいろ意味で詳しくなれます。時間がある時にでも読んでください。
1913年の五大湖の嵐 オンタリオ州 南部(アメリカの一部含む):死者数 250人
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カナダの歴史の中では最大の犠牲者が出た自然災害と言われています。わたし個人もトロントに住んでいますが、このような災害があった事は本当に驚きですね。
具体的にはカナダ北部から来たサイクロンと、アメリカ中部から来たサイクロンが五大湖の周辺で偶然1つになり、超巨大なサイクロンが出来上がったとあります。
当時に五大湖にあったほとんどのボートは大破するか、ひっくり返る被害にあったとあります。つまりかなり強烈な規模で被害にあったことが分かります。
台風などは、基本的に水の上で巨大化しますので、この説明にも説得力がありますね。もうこのような事が2度とないように願うだけですね。
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ハリファクスの巨大爆発 ノバスコシア州の港 :死者数 2000人 1917年
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1917年の12月に起きたこの大惨事ですがカナダの極東と言われるハリファックスの港で起きたものと言われています。ハリファックスと言えばカナダでも海の幸が豊富な場所です。
1917年当時、カナダはまだイギリスとフランスの植民地で、周辺の国々と数々の争いの最中でした。
そのために、フランスの植民地であったノバスコシア州のハリファックス港では、本国から高性能火薬を満載した船が入港を待っている最中でした。
そのおり、何かの原因で火薬に引火し、船は木っ端みじんになり、その火災から出た煙は上空3600メートルまで達したとあります。
また港付近の建物は一瞬で壊滅を起こし、すくなくても死者2000人となり、それ以外にも9000人の負傷者が出たとあります。
この爆発の規模はのちの原爆開発まで人類最大の過ちとして記憶されることになります。
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ケベック独立紛争 被害者:50人程度 1960年代―1970年代
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ケベックがカナダの一部の地域というのは今では常識の話ですね。ですが、このあたり前がそうではなくなる可能性があったのです。
1960年のカナダのケベック州ではカナダから独立の機運が高まっていました。そもそも、ケベック州では他のカナダの州と違って言語もフランスで文化も違うという地域です。
そのために、カナダから独立して、フランスよりの国を作りたいと考える国民が多かったとあります。ほとんどの市民が平和的にかつ、民主的にケベックを独立させようとしている人々でした。
そのような方々がいる反面、ケベック解放戦線と言ういわゆる過激派と言う方々も増えていったといいます。
この結果、1970年の10月にオクトーバークライシスといわれる、大惨事が起きたとあります。
また、この時期にカナダの軍隊がケベックに投入されてケベック解放戦線と内戦さながらの戦闘を行ったようです。
2度とこのような事にならないように、カナダの内閣には頑張っていただきたいです。
後の1995年にケベック独立選挙があり、51%の独立反対と49%独立賛成でギリギリにてカナダにとどまる選択がされました。そのために今はカナダの一部なっています。
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カスケードの大地震 バンクーバー島からカリフォルニア州北部 死数:1000人-3000人 1700年
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この地震ですが、カナダの有史で最大と言われるものです。マグニチュード9と言われるもので一般的にいう巨大地震というカテゴリーみたいです。
その大きさゆえに、バンクーバーからだいぶ離れた日本でも大きな津波が襲ったという記録が存在しているといいます。
被害は、原住民の方々が大半で当時の家の大部分が全壊の被害を受けたようです。
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エア・インディア182便 死者数:329人 1985年
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カナダ最悪と呼ばれる、飛行機テロは1985年の6月にアイルランド上空付近で起き、乗員乗客を含めて生存者なしという悲劇を生んでいます。
ケベック州のモントリオールから英国のヒスロ空港へ向けた便でした。
実はこのテロは、のちにカナダではなくインド政府に向けたテロだったことが判明しています。
そもそも当時のインド政府と対立していたシーク教・過激派が英国のヒスロ空港で起こす予定のテロだったされています。(それがカナダから英国の航路で起きた)
この182便ですが、当初の予定ではカナダ・モントリオールから英国のヒスロ空港を経由して最終的にはインドのムンバイに向かう予定でした。
つまり、モントリオール空港から、イギリスのヒスロ空港へ多数のカナダ人の乗客を乗っけていたわけです。そして、ヒスロ空港でカナダ人と乗り換えになるインド人が標的になるという計画でした。
ところが、モントリオール空港で特殊貨物と言われる超大型の旅客機のエンジンの運搬にてこずり、当初の離陸の予定より約2時間遅れになった事で、テロの時間と場所がくるったといわれています。
その結果、テロリストの予定のヒスロ空港/離陸後ではなく、アイルランドの少し手前の海上で空中爆発を起こしたとなっています。
329名の尊い命にご冥福をお祈りしたいです。このような事は2度とあってはなりません。
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マティソンの森林火災 オンタリオ州 北部 死者数:223人 1916年
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まず、当時は意図的に森林火災を起こすという手法がとらていました。これは意図的に小さな火災を起こすことによって、大きな火災を起こさないという方法です。
にもかかわらず、当時は長期にわたり雨が全くふらない状況が続いており森林火災には持って来いの状況とだったという事実が判明しています。
それにも関わらず、いつもどおりに小さな森林火災を増やしていくつれて、その小さなはずの森林火災が巨大になっていき、最終的には223人の被害者が出てしまいました。
記録によると、最大規模では64キロの範囲が同時に大火に包まれたとあります。
これは東京都の半分くらいの長さで西東京市を中心に右半分か左半分がすべて炎を考えると、とてつもない長さだったと考えることができます。
最終的にこの火災で東京ドーム42500個分の森林が消失あります。とんでもない規模ですね。このような人災は2度とないようにしていただきたいですね。
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スペイン風邪 カナダ全土 死者数:55000人―70000人 1918年-1919年
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2020年の11月現在では新型コロナが世界規模で猛威を振るっていますが、約100年前の1910年代の後半にも同じような悲劇がありました。
このころは欧州で第一次世界大戦も起きており、カナダ国外でなくなった方々もかなりいたといいます。
さらにこのパンデミックの影響で世界大戦も早く終ったという学者もたくさんいるほどの惨劇だったようです。
カナダではケベック州と特に原住民族の方に被害が多かったようです。また100年以上も昔の話でが、現在のように検疫が強化され公共の場所でのマスクの着用が義務化されたとあります。
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まとめ
カナダでおきた大惨事を中心にお伝えしましたが、カナダで起きた色々な事を知るという事はカナダを詳しくなるという言う意味ではプラスだと考えてください。
Goran HorvatによるPixabayからの画像
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